大判例

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大阪地方裁判所 平成元年(ヨ)313号 決定

申請人

金森健一

右代理人弁護士

荻矢頼雄

山本恵一

平井康博

被申請人

大タク株式会社

右代表者代表取締役

目次敬一

右代理人弁護士

原清

本郷修

主文

一  申請人が被申請人に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は、申請人に対し、金一五〇万円及び平成元年六月から本案の第一審判決の言渡しがあるまで、毎月二八日限り月額三〇万円の割合による金員を仮に支払え。

三  申請人のその余の本件仮処分申請を却下する。

四  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一  申請の趣旨

申請人は、「申請人が被申請人に対して雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。被申請人は申請人に対して平成元年一月二八日以降本案判決確定に至るまで毎月二八日に月額三九万五四六〇円の金員を仮に支払え。」との裁判を求めた。

二  当事者間に争いのない事実

被申請人はいわゆるタクシー営業を目的とする株式会社であること、申請人は昭和五八年八月二〇日被申請人に雇用され、その後タクシー運転手の職務に従事してきたものであること、申請人は昭和六三年一二月一六日被申請人の社屋内において同僚に対し暴行を加えたこと、被申請人は、申請人の右行為は被申請人会社就業規則四九条三号に定める普通解雇事由(「会社の従業員として適しないと認めたとき」)に該当するとして、申請人に対し、同月二三日、申請人を解雇する旨の意思表示(この意思表示を以下「本件解雇」という。)をしたこと、本件解雇当時申請人は被申請人から月額平均して三九万五四六〇円の賃金の支払を受けていたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

三  被保全権利について

申請人は、本件解雇につき、申請人の側に普通解雇事由に該当する行為のあったことは争わないものの、公平を欠いた不当に重い処分であるから解雇権の濫用に当たり、無効である旨主張するので、この点につき判断するに、右争いのない事実、疎明資料、審尋の結果及び手続の全趣旨を総合すると、以下の事実を一応認めることができ、これを覆すに足りる疎明資料はない。

1  被申請人は、本社所在地及び大阪市淀川区十三に営業所を置き、営業用車両一四三台を保有し従業員約三四〇名を雇用してタクシー業を営む株式会社である。そして、申請人は、昭和五五年六月ころまで喫茶店自営などをした後、昭和五八年八月から被申請人に雇用され、タクシー運転手として嫁働してきたものであるが、本件解雇に至るまで、格別職務上の義務履行に欠けるところはなかったし、また、勤務成績や勤務態度が不良であったこともない。

2  申請人は、昭和六三年一一月末ころ、被申請人の従業員であり申請人と同様タクシー運転に従事する吉田一若(以下「吉田」という。)から、他の従業員らの面前で、得意先の顧客が申請人の運転方法につき苦情を言っていたとの旨告げられ、同顧客がそのようなことを言うとは全く考えられなかったこともあって、自らの名誉感情をいたく傷つけられ、吉田との間で激しく口論を交わしたことがある。両者は、同年一二月一〇日ころ、吉田が申請人に詫びたことから和解したが、申請人は、同月一六日、一日の勤務を終え、午前二時すぎころから被申請人本社所在地近くの食堂でビールを五、六本飲んだ後被申請人本社社屋に戻り、二階において休憩中、別の従業員より、吉田が申請人のことを、運転手仲間の嫌がる年末の夜回りの仕事をしないと、さも身勝手な人間であるかのように言っているとの旨聞き及び、和解したばかりであるのにまた悪口を言っているのかと吉田のことを不快に感じるとともに、飲酒の勢いも手伝い、この際吉田の発言についてその事実の有無を直接本人に確かめようと考え、午前五時三〇分ころ、別棟の二階にあり、従前から吉田が寝泊りに使用していた仮眠室に赴き、同室において、ベッドで睡眠中の吉田を呼び起こし、目を覚ましたばかりの吉田に対し、「お前まだそんなこと言っているのか。」と詰め寄ったところ、吉田がこれを否定する応答をしたため憤激し、ベッド上で上半身を起こした姿勢の吉田に対し、いきなりその顔面、頭部等を手拳で数回殴打する暴行を加えた。

3  吉田は、前示申請人の暴行(以下「本件暴行」という。)により負傷し、同一六日午前、事の次第を上司に報告した後、近くの病院と眼科医に行き診察を受けたが、前者においては、顔面挫傷、右結膜下出血、頭部挫傷により合併症のあるときを除き向後約一週間の安静加療を要すると、後者においては、病名は外傷性球結膜下出血(右)、前眼部の外傷はないが打撲により右眼の視力が著しく低下している(左一・五、右〇・三)ので回復するまで休業が望ましいと、それぞれ診断された。吉田は、更に警察署にも出向いて被害届を提出したが、警察では、同日午後、被申請人に対し、吉田から届出があった事実を伝えるとともに、従業員同士のことだから当事者間で解決させてはどうかと意見したにとどまり、その後申請人、吉田及び被申請人担当者を出頭させて一度事情聴取を行ったものの、現在に至るまで本件暴行につき申請人に対し何らかの処分をした事実はない。

4  タクシー業は接客サービス業であり、特に第一線で働く乗務員のマナーは極めて重要であるところ、被申請人は、大阪のタクシー業界の中でも古い歴史を有する老舗であり、法人の得意先を多数抱えていることもあって、日頃から日常の点呼を通じ自覚を促すなどして、乗務員のマナーの向上に力を入れてきたが、乗務員は出庫前の始業点呼と帰社後の終業点呼等の限られた時間しか上司と接触する機会がないうえ、すべての乗務員が毎日必ず点呼を受ける体制にもなっていないことなどから、その管理には極めて困難な面があることを否定できず、被申請人会社においても、昭和六一年一二月に従業員同士の暴行事件が発生したことがあるほか、本件暴行の直前である昭和六三年一二月一二日、十三営業所所属の乗務員が、社外で賃借している被申請人会社ガレージ内で、停車位置をめぐるトラブルから、別の乗務員の顔面を殴打して負傷させ、加害者は被申請人の退職勧告を受けて即日退職するという事件(この事件を、以下「十三事件」という。)が起きたばかりであった。

5  申請人は、本件暴行の直後、申請人と同行した同僚らに制止され室外に連れ出されたため、吉田に対し前示2以上の攻撃を加えることはなく、また、暴行の結果を認識することもなく帰宅したが、当日(一二月一六日)の午後出社した際、被申請人の営業課長から、吉田が負傷し警察署に被害届を提出したこと及び警察からは話合いで解決するよう連絡があったことを知らされ、同課長に対し、自らの暴行の事実を認め、治療費その他の損害賠償につき誠意を示すことを約した。同課長は、翌一七日被申請人の常務取締役に本件暴行事件の発生とその後の経過を報告したが、同常務から、申請人に始末書を書かせるか又は退職届を提出させるようにとの指示を受けたので、これを申請人に伝えた。ところで、本件暴行は前示4の十三事件の直後のことでもあり、被申請人が申請人に対して厳しい態度で臨むであろうことは十分予測できたため、申請人が解雇されるのではないかと案じた申請人の同僚らは、同月二〇日夜、吉田を説得し、申請人に対する処分を軽減させるため、吉田が受傷したのは階段で転んだのが原因であって申請人による暴行の事実はなかったものとすることに同意させ、早速被申請人の常務取締役にその旨申し出たが、既に事件の報告を受けていた同常務はこれに取り合わなかった。そこで、右同僚らは、同日深夜、再び吉田を呼び出したうえ、申請人をも交えて話し合い、結局、申請人は吉田に対し治療費及び休業補償費を支払うとの旨の書面を、吉田は、右同僚の一人が起草した下書きに従い、申請人とは和解したので寛大な処分を願うとの旨を記載した書面を、それぞれ作成して、和解の体裁を整えた。しかし、その直後関係者全員で飲食した際、吉田が申請人から金員を受け取るわけにはいかないと言い出して申請人作成にかかる書面の受領を拒み、やむなく、関係者の一人が右書面を預かった。

一方、申請人は翌二一日吉田作成の書面を被申請人に提出した。

6  被申請人は、同月二二日、申請人に対し退職を勧告したが、申請人が暴行の事実を否定するかのような発言をし、さらには吉田との間で和解が成立していると主張して退職勧告に従うことを拒否したため、翌二三日、警察署を訪ねて申請人の暴行の事実を確認したうえ、吉田から再度事情を聴取するなどして検討した結果、申請人を普通解雇することに決め、同日申請人に本件解雇を通告した。

7  吉田は、本件暴行の後、一二月二六日に丸一日タクシー乗務をしたことを除いて欠勤を続け、同月二八日には郷里の徳島県に戻り、それ以来現在まで、同県において、頸椎捻挫の病名で通院加療を続けている。

被申請人は、本件暴行は、わざわざ相手方の下に出向き一方的に暴行を加えるなどその態様及び情状において極めて悪質であるうえ、吉田は未だ通院加療中であるなど結果も決して軽微であるとはいえず、さらに事件後吉田に指示して自らの非行を隠蔽しようとし、あるいは被申請人の事情聴取の際に暴行の事実すら否定しようとするなど反省の態度が全く窺えないことなどに鑑みると、申請人には規範意識や安全性に対する自覚の欠如が明白で、かかる性格の持主は、接客業を主体とする被申請人会社の業務目的と全く相容れず、被申請人の従業員として適しないといわなければならないばかりか、本件暴行は職場内において勤務終了直後の仮眠中の従業員に対し他の従業員の面前で行われた点で職場秩序及び職場規律を著しく害するものであること、申請人は安全性や接客マナーが強く要請されるタクシー乗務員として日頃から暴力の排除を指示されていたうえ本件暴行はその直前に発生した十三事件により会社から重ねて暴力の排除が指示された矢先の事件であること、をも併せ考えると、本件解雇は正当な理由に基づく解雇権の行使であり、何ら解雇権の濫用となるものではない、との旨主張し、申請人もまた普通解雇事由該当性自体を争わないところ、なるほど右一応認めた事実によれば、本件暴行は、吉田に悪口を言われたと思い込んだ申請人が事実をよく確かめもせず性急に事に及んだものであって、動機に酌むべきところがないうえ(申請人は吉田の側にも非難されてしかるべき言動があったと主張するが、一一月末ころの口論の原因となった吉田の発言については、いったん和解した以上これを蒸し返すのは公正ではないし、その後の発言についても、その真否は不明であり、少なくとも、本件暴行の時点において、吉田が否定しているのにそれを嘘と決め付けるだけの材料を申請人が持ち合わせていなかったことは明白であるから、右主張は採用できない。)、抵抗不可能な態勢にある相手に一方的に攻撃を加えたものであって、態様も良くなく、さらに、視力の低下を来し短期間とはいえ就労不能に追い込むなど結果も軽視できないことに加え、申請人の主張する和解の成立ないし嘆願書の存在については、深夜に呼び出したうえ数人がかりで説得したという作成の経緯や、その直後申請人から金員を受け取るわけにはいかないと申し出て申請人作成の書面を返却しようとした吉田の行動(これは、吉田において真実申請人からの金員受取を固辞しあるいは申請人に対する賠償請求権を放棄する意図に出たものではなく、申請人が書面を作成するのと交換に自分も書面を作成することになった成り行きにつき吉田が物足りない感情を抱いていたことの表われと解釈すべきである。)に照らせば、これを無理強いしたとまではいえないにしても、吉田が心底申請人を宥恕したことの徴憑とも認め難いというべきであり(なお、申請人提出の疎明資料中には、負傷の点につき吉田自身が階段で転んだものだと他人に述べていたとする部分が存するが、そのような事実があったとしても、それは吉田が自らの体面を保つためにそうしたと推認するのが自然であり、これが申請人をかばう気持ちから出たものであるとは到底考えられない。)、本件暴行後の申請人の態度は決して芳しいものではない。

しかしながら、解雇は継続的な労働契約関係を終了させ労働者の生活の基盤を奪うという意味において労働者に重大な不利益を与えるものであることを考えると、使用者による解雇権の行使は慎重にされるべきであり、労働者の側に規律違反の行為など就業規則に定める解雇事由がある場合においても、当該非行の程度と比較して解雇処分を選択することが均衡を欠くと評価されるなど解雇が相当の理由を欠くときには、当該解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効になると解すべきである。

これを本件についてみるに、前示指摘の事情が存する一方、本件暴行は、飲酒の上での偶発的な非行であるうえ(被申請人は本件暴行が計画的であることは極めて明白であると主張するが、申請人は当初から吉田に対する暴行の故意を有していたものではなく、既に相当程度飲酒した後で吉田の発言を聞かされ、酔った勢いで吉田の下まで行こうと思い立ったものの、その時点においても吉田に害を加えることまで意図していたわけではなく、その後吉田の態度に接して初めて暴行の故意を生じたものであるから、右主張は到底採用できない。)、吉田は本件暴行の一〇日後には平常通りのタクシー乗務に就いており、また徳島県に戻ってからは頸椎捻挫の病名でのみ加療を継続していることに徴すると、本件暴行による吉田の主要な傷害は長くとも一〇日間で治癒するに至ったものと推認することができ、結果もさほど重大であるとはいえないこと(頸椎捻挫の点は、徳島県に戻って以後の診断書しか存しないことに照らしても、本件疎明資料によっては本件暴行との間の因果関係の有無及び範囲が不明であるというほかはなく、そうである以上、これを申請人に不利に解釈することはできないというべきである。)、本件暴行は、職場内であるとはいえ勤務時間外の職務遂行とは無関係の行為であって、直ちに職場秩序あるいは職場規律を害する性質のものではなく、従業員同士の私的な動機に基づくささいな紛争であって、被申請人の対外的信用を直接毀損する類いのものでもないこと、本件暴行後申請人は素直に事実を認め、吉田に対し賠償義務を負担する意思のあることを表明しており、事件後の吉田に対する種々の働きかけも申請人個人の発意によるものとは認められず、また被申請人の事情聴取の際反抗的な態度を取ったことは、その場において退職を勧告されたという申請人の置かれた状況を考えるならばやむを得ないものとして了解可能であって、申請人において反省の態度が全く窺えないというのは被申請人の独断に過ぎるというべきであり、申請人の性格が矯正不可能なまでに反社会的、反規範的であるとは認められないこと、被申請人は本件暴行が十三事件の直後の出来事であることを強調するが、被申請人において十三事件の後特に暴力の排除につき会社の厳しい姿勢を全従業員にその趣旨が徹底するような形で示したことを認めるに足りる的確な疎明資料はなく、また、十三事件は任意退職した事例であって、申請人を解雇した本件被申請人の処分の合理性を支持する例として必ずしも適切ではないこと(なお、付言しておくに、十三事件では即日被申請人の対応が示されているのに対し、後に本社社屋内で発生した本件では処置を決するのに一週間を要しているが、かかる差異が何に起因するのか、両事件の情状の違いを被申請人がどのようにとらえていたのか等につき被申請人は何ら納得の行く説明をしておらず、不可解というほかない。)とりわけ、申請人には、被申請人に雇用されてから本件解雇までの五年余りの間、職務上の非違行為があったわけではなく、勤務成績や勤務態度が不良であったわけでもないうえ、本件暴行により現に被申請人の業務が阻害されたと認めるに足りる的確な疎明資料も何ら存しないこと、を肯認することができ、以上の諸事情を考慮すると、本件解雇は、申請人の非行の実質と比較していささか酷に過ぎ、合理的な理由を欠き、解雇権の濫用に該当して無効であるといわざるを得ない。

したがって、申請人は、被申請人に対しなお雇用契約上の地位を有しており、被申請人から就労を拒否されているとはいえ、解雇期間中の賃金請求権を有するというべきである。

四  保全の必要性について

疎明資料、審尋の結果及び手続の全趣旨によれば、申請人は被申請人から支給される賃金を主たる生活の資とし、妻と子供二人を有する労働者であること、申請人の妻には月額一二万円程度の賃金収入があること、二人の子供のうち一人は独立し、もう一人は高等学校に在学中であること、申請人は別居している両親に対し毎月約六万円の生活費を仕送っていたこと、申請人は不動産を所有しておらず住居は借家であって毎月三万二〇〇〇円の家賃を支払っていること、みるべき資産はなく、銀行に対し約二〇万円の借金があり毎月約一万円ずつ返済する約定になっていること、昭和五八年八月に申請人が被申請人に雇用される直前の申請人一家の生活費は一か月二五万円であったこと、の各事実を一応認めることができる。

そこで、右一応認めた事実に、申請人の求めた裁判、本案訴訟の審理期間その他諸般の事情を総合考慮すると、申請人の本件仮処分申請は、申請人が被申請人に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定め、被申請人に対し平成元年一月から本案の第一審判決の言渡しがあるまでの間毎月二八日限り月額三〇万円の限度で賃金の仮払いを命ずる範囲において保全の必要性を認めることができるが、その余は、本件全疎明資料によっても保全の必要性を認めるに足りない。

五  結論

よって、申請人の本件仮処分申請は、右被保全権利及び保全の必要性を認めた限度で理由があるから、保証を立てさせずにこれ(なお、金員の仮払いを命ずる部分のうち、既に支払期の経過した平成元年一月から同年五月までの分については、即時に支払わせることとして)を認容し、その余は保全の必要性がなく、かつ、保証を立てさせてこれに代えることも相当でないのでこれを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 石田裕一)

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